信徒と共にお経を
本堂前であげて、お寺の解説とお経の解説をして、移動する、という参拝です。ゆっくりのんびり、という感じではないので、結構大変ですが、私も行ったことの無いお寺も沢山あり、良い勉強になります。
ですが、今日行くお寺の内3ヶ寺は、代務寺といって、普段住職がいないお寺です。
寂しい限りですが、これが、現在のお寺の実態です。仏教離れはとても深刻なんです。
お寺が常に
解放されていれば、もっと親しみやすい場所になるんでしょうが、大体本堂は閉まっていて、鍵がかかって自由に入れません。境内にも人気がない。なかなかそれでは、お寺にお参りしようか、ということにはなりませんね。物騒な時代ですから、仕方がないのかもしれません。
インドの分院にいた時に、常にお寺のドアを開けていたら、ひっきりなしに子どもが入ってきて、こちらがご飯を食べていても、近くにきて、何をたべているのか、チェックしにきたりして、こりゃあ困ったなーと思い、ご飯の時には、扉を閉めていましたが、後は、物を盗まれようが扉は開けておりました。さすがインド人も「子どもは入れないほうがいい」とアドバイスを頂きましたが、「お寺は平等に誰でもお参りできるようにしておかなければ、意味がない」と言って頑張っていました。
お釈迦様は平等に
「来るもの拒まず」の精神です。お釈迦様に会いたい、と思ってお寺に来たけど、扉が閉まっていると、「来るな」と拒否された感じに受け取られるかもしれません。
お寺の事情もありますが、そこは住職の腹の括り方ではないかなーと思います。
合掌