緊急支援ボランティア活動に参加しました。
参加者 中島泰俊、安森泰譱、安森克徳(敬称略)
3月11日に発生した東日本大震災の1週間後、当寺の兄弟子と私の父と私の3人が、岡山に本部を構える国際医療支援団体のスタッフとして、緊急支援ボランティア活動に参加しました。
釜石中学校に支援物資を届けました。
翌日、20日15時ごろ宿泊場所である岩手県花巻に到着する。その後、救援物資を積み替え釜石の避難所である釜石中学校に20時ごろ到着し、物資を渡した後、次の日の打ち合わせを行い0時ごろ宿泊場所に帰る。
悲惨な現場の様子
次の日もう一つの避難所である大槌高校に行くため、釜石中学校より海側に行くと景色は一変し、テレビで見るよりはるかに悲惨な状況であった。鉄橋には木材が積み重なっている、道のほとりは多数の車があり、確認をした印に○や×がペイントしてあった。そのような状況を見ながら海辺を進み大槌町に行ったが、海辺は何も無い状態になっており、山側にガレキや車そして家の屋根があったりで、どうしたらあのような状況になるのか、想像もつかない。
大槌高校へ支援物資を配達
大槌高校では、生徒たちが避難者の手伝いを積極的にしており、活気が感じられた。釜石では自転車は重宝がられたが、大槌ではアップダウンが多く、軽トラックでないと他の避難場所等には行けないので、ガソリンが欲しいとのことであった。避難場所によって必要なものが違うと感じた。避難している人の中で、元気な人はどんどん動いてもらうことで、さらに元気が出るように思う。
地元寺院との交流
岩手県釜石市で各避難所へ救援物資を届けるという作業を行いました。その避難所の一つに曹洞宗の寺院がありました。山門の入り口まで、津波が襲ってきている痕跡があり、お墓もいくつか倒れていましたが、本堂および境内は少し高い場所にあり無事でした。その境内で、避難して来た人達が生活をしていました。救援物資を届け、朝勤に参拝させていただき、この震災で亡くなった方々のご供養、被災地の早期復興の祈願をいたしました。
遺体安置所での読経
そのご縁からご住職より、市内の遺体安置所での読経をお願いされました。遺体安置所へは、各寺院が持ち回りで読経に行っているが、檀家さんの家を回ったり、遺骨を持って来られた方などの対応で非常に忙しいということで、「私たちで良ければ」という気持ちで、読経させていただくこととなりました。
遺体安置所として廃校の校舎が多く使われ、教室や体育館へ何百もの遺体が安置されていました。棺があるものとビニールシーとでくるまれているだけものがありました。その場は、暗く冷たく重たい空気に満ちていました。そこを管理している警察の方によると、遺体の3割近くはまだ身元が判明していないとのことでした。もちろん、一つの場所でこんなに多くの遺体を目にすることも読経するのも初めてであったため、果たして私たちの読経で何人の方がお経を受け取ることができるのだろう、と不安でしたが、とにかく一生懸命させていただきました。読経中にも、遺体の身元の確認にご家族の方が多く来られていました。遺体の側には、亡くなった方が身に着けていた衣服や物が身元の手がかりとして置いてありました。
この地震による津波が多くの命を奪いました。まだ見つかっていない遺体は2万体以上あるといわれています。その見つかっていない遺体の魂は、誰からも供養されず、浮遊していることと思います。実際、何百という遺体のご供養でさえ、少々の読経では全く足りないという感覚が私にはありました。この百倍以上の魂をご供養することは非常に大変なことだと思います。また、被災にあった寺院や僧侶の方々は、自分自身と寺院のことと檀家さんのことで本当にいっぱいいっぱいだと思います。こういう事態なので、全国の宗派を超えた多くの僧侶や心ある人達で、亡くなった魂へのご供養を行っていかなければならないと思いました。そして、被災地の早期復興と被災者の方々の気得安穏を願って、今後も祈り続けようと誓いました。